大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和46年(わ)5253号 判決 1972年3月18日

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、

被告人は自動車運転業務に従事していた者であるが、昭和四六年二月一八日自動車を運転中、同日午前一一時五〇分ごろ東京都台東区東上野四丁目四番五号のさきの道路に差しかかり、そのとき右自動車を入谷方面から上野駅前方面に向かつて走行させていたが、そこは東京都公安委員会がそこを通行する車両の最高速度を四〇キロメートル毎時と定めているところであり、従つて、かかる場合自動車運転業務従事者としては、右自動車の進路前方を左から右に横断する歩行者があるかも知れないことを予想し、かかる歩行者との衝突を避けるため、右自動車の速さを四〇キロメートル毎時以下にとどめ、かつ、右自動車の進路前方を注視してかかる歩行者の存否を確認していなければならないという業務上の注意義務があるのに、被告人はこれを怠り、右自動車を約七〇キロメートル毎時の速さで走行させ、かつ、右自動車の助手席に同乗していた者との会話などに気とられて右自動車の進路前方を注視していなかつたところ、そのとき八木孝夫が右自動車の進路前方を左から右に横断歩行しており、被告人は以上の前方不注視のためこれに気づくのが遅れ、被告人がこれに気づいたときには右自動車は八木孝夫のすぐ手前まで達しており、その結果被告人は前記注意義務違反により右自動車の車体を八木孝夫の身体に衝突させ、同人をして同日午後〇時三五分ごろ東京都台東区元浅草二丁目一一番七号の永寿総合病院において右衝突による血胸のため死亡するに至らしめたものである。

というのである。

そして、被告人は自動車運転業務に従事していた者であるが、昭和四六年二月一八日普通貨物自動車を運転して東京都台東区内の日本国有鉄道上野駅公園口の付近の文化会館の前から同都同区東上野二丁目一八番地のシチズン商事株式会社に赴く途中、同日午前一一時五〇分ごろ同都同区東上野四丁目四番五号のレストラン「千代田苑」の前(北西側)の道路に差しかかつたが、そのとき被告人は右自動車を北東方の入谷方面から南西方の上野駅前方面に向かつて走行させていたが、そこは東京都公安委員会がそこを北東方の入谷方面から南西方の上野駅前方面に向かつて通行する車両の最高速度を四〇キロメートル毎時と定めているところであるのに、被告人はそのときそこで右自動車を約七〇キロメートル毎時の速さで走行させており、かつ、右自動車の助手席に同乗していた勝田正春の購入したスポーツ新聞の競馬予想記事について同人と話をかわしたり、その新聞をのぞきこんだりして右自動車の進路前方を注視しておらず、従つて右自動車の進路前方における横断歩行者の存否を確認していなかつたところ、そのとき八木孝夫(昭和一七年三月二〇日生)が右自動車の進路前方(南西方)を左から右に(南東方から北西方に)横断歩行しようとしており、被告人は以上の前方不注視のためこれに気づくのが遅れ、被告人がこれに気づいたときには右自動車は八木孝夫の手前(北東方)約九メートルの地点を約七〇キロメートル毎時の速さで走行していたため、どうするいとまもなく、右自動車の車体が八木孝夫の身体に衝突し、そのため同人がはねとばされて路上に転倒し、その結果同人自身の体重による胸部圧迫、捻転のための胸腔内縦隔洞内の血管破綻による縦隔洞内血腫形成にもとづく左血胸により昭和四六年二月一八日午後〇時三五分東京都台東区元浅草二丁目一一番七号の永寿総合病院で同人が死亡するに至つたものであり、以上の事実は<証拠>によつて明らかである。

しかしながら、<証拠>によると、前記衝突地点は、その北東方57.7七メートルにある横断歩道(交通信号機による交通整理の行なわれている交差点の南西側出口にある横断歩道)と右横断歩道の南西方154.4メートルのところにある横断歩道(交通信号機による交通整理の行なわれているもの)との間にあり、この二個の横断歩道に挾まれている部分は道路交通法一三条二項により東京都公安委員会が歩行者の横断を禁止していること、この横断禁止区間における道路は、もつとも南東側にある幅員5.25メートルの歩道の北西側に幅員9.6メートルの(北東方の入谷方面から南西方の上野駅前方面に向かう車両の)車道があり、この車道の北西側に幅員1.5メートルの分離帯があり(ただしこの分離帯は前記衝突地点の南西方約11.7メートルから27.85メートルの間が途切れている。)、この分離帯の北西側に幅員七メートルの(北東方の入谷方面から南西方の上野駅前方面に向かう車両の)車道があり、この車道の北西側に幅員1.5メートルの分離帯があり、この分離帯の北西側に幅員9.75メートルの(南西方の上野駅前方面から北東方の入谷方面に向かう車両の)車道があり、この車道の北西側に幅員5.3メートルの歩道があるという総幅員39.9メートルの道路であること、前記の南東側歩道のうち前記衝突地点よりやや北東寄りの地点と前記の北西側歩道のうち前記衝突地点よりやや南西寄りの地点と前記の南東側分離帯のうち前記衝突地点より北東方約一四メートルの地点に歩行者横断禁止の道路標識(道路標識、区画線及び道路標示に関する命令所定の規制標識)が南東方に向いて立てられていること、ならびに、南東側歩道の北西側と北西側歩道の南東側とには歩行者の車道立入を封ずるためのガードレール(支柱を立ててそれに網を張つてあるもの)が設けられ、前記南東側分離帯の南東側と北西側分離帯の北西側にも高さ0.68メートルのガードレールが設けられていることが明らかであり、さらに、<証拠>によると、被告人は右自動車をその車体左側(南東側)と前記南東側分離帯の北西端との間に約一メートルの間隔を保ちつつ前記二本の分離帯の間の車道上で歩行させていたところ、八木孝夫が南東側分離帯のガードレールを(南東側から北西側に)またいでこの車道内に入りこみ、同人がこの車道内で南東側分離帯の北西端より北西方約1.3メートルの地点に達したときにはじめて被告人が八木孝夫の姿に気づいたことおよび前記衝突は右自動車の車体前面左側が南東側分離帯の北西端より北西方約1.3メートルの地点で同人の身体に衝突したものであることが明らかである。

検察官は、自動車運転業務従事者としてはかかる場合この衝突を避けるため、右自動車の速さにつき前記の指定最高速度を守り、かつ、右自動車の進路前方を注視して、そこを左から右に横断する歩行者の存否を確認していなければならないと主張するが、以上の歩行者横断禁止区間内で前記の如き二本の分離帯の間を走行している車両の運転者はその車両の進路前方を横切る歩行者があるかも知れないということまで予想していなければならないということはできない(このことは、前記の南東側分離帯が前記のように一部途切れていることやここを通行する車両の最高速度が前記のとおり公安委員会によつて四〇キロメートル毎時と定められていることによつて影響されない。けだし、分離帯の中断は分離帯の北西側から南東側に移る車両のためにあるものに過ぎず歩行者のためにあるものではないし、また指定最高速度はこの場合車両の進路前方における車両との衝突を防止するためのものに過ぎず歩行者保護のためのものではないからである。)。

すなわち、前記の二本の分離帯の間を走行する車両の運転者としては、歩行者が南東側歩道から北西側歩道に移る際にはかならず前記二本の横断歩道のうちのどれかを利用するのであつて、これを利用しないで前記のガードレールをまたいで、かつ、歩行者横断禁止を無視して、横断歩道以外の部分で車道を横切るものはないであろうと信頼していればたりるというべきである。従つて本件の場合被告人にはその運転する自動車の進路前方を横切る(または、横切ろうとしている)歩行者の存在を予見すべき義務はないのであり、従つて、(進路前方の車両に対する関係ではともかく)かかる歩行者に対する関係では前方注視義務も指定最高速度遵守義務もないといわなければならない。そうだとすれば、被告人がもし前方注視をしていたならば八木孝夫の姿を(右転把または制動により回避しうる地点で)現認しえたとしても、またもし被告人が前記の指定最高速度を遵守していたならば前記衝突を回避することができたとしても、そのことは被告人に前記衝突についての過失責任を負わせる根拠とはなりえないものというべきである。

以上の理由により、結局被告人には前記衝突事故についての過失責任が認められないことになるから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をする。 (山本卓)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例